「旅と生き方」をテーマにした大学講義のレポートの採点を終え、先日成績を提出しました。履修者が299人いて、レポートが270人分ぐらい。読むのがかなり大変だったけれど(おそらく新書3,4冊分)、7年目の今年は、講義をしていても、レポートを読んでも、おそらくこれまでで一番、学生たちがいろいろと感じてくれ、何か行動を起こそうとするきっかけになったらしいことが感じられました。
旅が人生においてどのような意味を持つか、というのが講義の主テーマで、いろんな人の生き方や表現物、また、自分自身の経験を元に話していくという講義です。
毎回小テーマを1つ決め、関連するドキュメンタリー映画などの映像作品を20分ほど見てもらい、あとは講義するという形をとっています。
たとえば「人はなぜ旅をするのか」というテーマでは、一人の若者が全てを捨てて旅に出る「イントゥ・ザ・ワイルド」、「異文化」がテーマの回は捕鯨に関する問題作「ザ・コーヴ」、「冒険」の回では迫真の登山映画「運命を分けたザイル」、旅の空気感そのものを知ってもらいたい回では「深夜特急」、「国とは何か」を考える回では、東ティモールで起きた虐殺事件に絡んだニュースドキュメンタリー映像やインドネシアの"英雄"たちをかつてない方法で描いた「アクト・オブ・キリング」の一部を観てもらい、そこから話を広げていく、という具合です。
その全体の縦糸となるのは、自分自身の26歳~32歳までの長旅の話です。15回で、5年半の旅が少しずつ進んでいき、毎回、その時々で自分が直面した問題、出会った人、その土地のこと、悩んでいたこと、などの話をとっかかりとして、それに関連するテーマを一つ絞って上のように紹介します。
とりあげるテーマのおそらく半分くらいは、たとえば「働くとはどういうことか」「コンプレックス」「異国で暮らすこと」「メディアの問題」「表現すること」「時間が有限であることの意味」など、必ずしも旅とは関係ありません。ただそれらはいずれも自分にとっては、旅を通じて感じ考え、いまの自分の深い部分を形成しているテーマです。そしてそれらは、結果としていずれも、いまの学生たちがそれぞれ、現在の悩みや気持ちと重ねて考えられる事柄が多いようで、旅が自分に与えてくれた課題のようなものは、ある意味、若い世代にとって普遍的なテーマであるんだろうなあとも感じます。
毎回の講義ごとに出欠を兼ねてみなに感想を書いてもらい、次回の講義の冒頭でその中のいくつかを紹介するのですが、みなの感想を読んでいると、「自分はいったい何しに大学に来ているのだろう」とか、「なんとなく大学、就活という流れに乗っているけれど、これからどうやって生きていったらいいのかわからない」などと、現状に悩む学生がとても多いことを感じます。
きっと本当は、それぞれ何かもっと時間やエネルギーを費やして考えたり、行動したいと思う対象があったり、または自分はどう生きたいかということにじっくりと向き合いたいのにもかかわらず、今の世は、あまりにも、やれ就活だインターンだ資格だ、そのためにはいまこれをやりなさい、説明会をやります、いまから手をうっておかないと人生やばいです、生き残れません、そんなことで将来大丈夫ですか、みたいな外からの声や圧力が大きすぎて、それらを振り切って自分の好きな道に進むというのが、ぼくが大学生だった20年前に比べて圧倒的に難しくなっているように感じます。
社会や時代の要請ありきではなく、自分がどう生きたいかをそれぞれが考え、それぞれに合った道を思い切って進めるのが理想だとぼくは考えていますが、いまの日本はあまりにもシステムが出来上がりすぎていて、そのシステムの中でいかに高いパフォーマンスを発揮できるかという価値観が強すぎるとつくづく感じます。
ちなみにぼくらの学生時代は、就活なんて自分が動かなければ大学が何を言ってくるわけでもなかったし、そういう意味では、今と比べると、人生がとても本人にゆだねられていたような気がします。昔の方がよかった、とかそういうことでは全くありませんが、ただ、そういう時代だったからこそ、決してそんなに大胆ではない自分でも、就活しないでライター修行を兼ねた長旅に出る、などという、いまから思うと突飛な進路に進もうと思えたのかもしれないようにも感じます(吃音で就職したくない、というきっかけが大きな後押しになったわけですが)。
つまり、振り返ると、当時は、生きたいように生きることが、意識の上ではいまよりも簡単だったように思います。いまは、技術的には可能なことが圧倒的に多いから、自分はこう生きるんだ、という明確な意志がある人にとってはおそらく可能性は、以前に比べて格段に大きく広がっている。でも、ちょっと立ち止まって考えたい人、どうしようかと悩んでいる人にとっては、辛い時代になっているような気がします。生きていく道は実は他に無数にあるのに、そのことを考える隙や時間を与えてもらえず、ものすごい勢いの流れの中で、なんとか溺れないようにその流れについていくのにみな必死、という印象を受けるのです。
そうした流れに乗っていくのが当然で、人生とはそういうものだと知らず知らずに考えるようになっている学生たちにとっては、旅に出る、または全然違う道を歩いていく、ということは、あまりにも無謀で破天荒で、ちょっとそんなことはありえない、、と感じるらしいことをかれらの感想を読むほどに感じます。
でも、講義を進めていくうちに、だんだんと、「いや、まてよ、生き方ってそんなに画一的なものではないらしい、もっと自分がやりたいことをやっていいんじゃないか?」と思うようになってくれた人が少なからずいてくれたようでした。一歩外に踏み出せば、こんなにも別世界が広がっていて、こんなに違った生き方をしている人たちがたくさんいる。そして自分自身もまた、いま当然と思っている以外の生き方が、じつはいくらでもできる可能性があるんだ、と。もちろん、自分で選んだ道を進むのには、当然厳しさもついてくるけれど、それでも、より自分の気持ちに率直に動いてみたい、動いてみます、と、おそらく本音で書いてくれている人が多くいました。
ネットによって、コミュニケーションに関しては物理的な距離はほとんどなくなったものの、それに反比例するように、現実の中での異国や未知の世界への距離はどんどん大きくなっているのかもしれません。
そしてそんな時代だからこそ、未知の中に身を置くことが本質にある「旅」というテーマが、逆に深く響くのかもしれません。
今年は、講義を受けた結果、留学や旅行に行くことを決めました、とレポートのあとの感想に書いてくれた人が多くいました。直接、留学などに関して相談に来てくれた学生も複数名いて、そうしたことに、講義をした意味を感じて、嬉しかったです。
旅に出ることであったり、自分の好きな道に進むことだったり、自分の気持ちに従って一歩踏み出しますと、書いてくれてた皆さん、心から応援しています。気をつけて、かつ思い切って、よく考え、でも考えすぎずに、未知の世界へ一歩を踏み出してみてください。きっとそこから世界は想像以上に膨らんでいくはずです。