ちょっと気になってふらっと隣のおばあちゃんを訪ねたら

親しくしている隣のおばあちゃんの姿を最近見ないので気になって、今朝、東京土産を持って訪ねたところ、とても元気にしていたうえに、驚きの話が。1944年にフィリピンのレイテ島で戦死した、おばあちゃんの従兄弟である元プロ野球選手の天川清三郎さんが亡くなった時に持っていた日章旗が返ってきたとのことでした。そして、ちょうどその返還式がその前日にあって、新聞に記事が出たところだったんです、と。

平安中から入団し1年半でレイテ島へ 戦死した南海元選手の日章旗、遺族に返還
(リンクは産経新聞(↓はこの記事のキャプチャ画像)。おばあちゃんが見せてくれたのは京都新聞だったけれど、見られないので産経の記事を)

この日章旗を持っていたのは、天川さんを撃ったアメリカ兵の孫。

レイテの村で天川さんとばったり出会ったそのアメリカ兵は、天川さんと同年代。互いに戦うような状況でなかった中、出会って互いに少し間を置いてから「しかし敵だ」と思い、彼を撃ったと。そしておそらく複雑な思いで、天川さんの所持品の中の日章旗を取り出して、いつか遺族に返そうとずっと持っていたようでした。そしてそれから80年が経ち、そのアメリカ兵の孫が、日章旗の遺族を探し続けていて、今年になっておばあちゃんがその報道を知って、返還されることになりました。

たまたまぼくがおばあちゃんを訪ねた日の前日(12月5日)がその返還式で、日章旗と米兵の孫から手紙を見せてもらいました。手紙には、その米兵もまた、野球をやっていて、大リーグの入団テストを受けたりしていたことも書いてあった。いまであれば、大リーグの舞台で勝負していたかもしれない二人が、たまたまレイテの村で出会って、互いに全く知らないながら、敵だからということで殺し合わなければならなかったことの不条理さは、戦争の悲惨さや愚かさをよくよく感じさせてくれます。

殺してしまった天川さんへの複雑な思いをおそらくずっと抱えて日章旗を大切に保管し続けていた米兵と、遺族を探し続けたその家族の思い、そして、「92歳になってこんなことがあるなんて、本当に生きててよかった」と満面の笑みを見せたおばあちゃんの姿に、本当に胸がいっぱいになる朝でした。