「旅と生き方」に関する大学講義の学生レポートを読み終えて

かれこれ6年ほど、大谷大学において「人間学」という講義をやらせてもらっています。いろいろな先生が同じタイトルでそれぞれ違ったテーマの授業をやられている中、自分は「旅と生き方」をテーマとして、毎年前期にやっています。旅が人生にどう影響するのか、旅することはどんな意味を持つのか。そのことを、さまざまな映像作品や自分の体験を通じて15回にわたって話していくという講義です。受講者は毎年二百数十名おり、今年も、200人ほどが最終レポートを提出してくれました。そして今日、ようやくそれをすべて読み終えることができました。

最近の学生はあまり海外に行かない、旅をしない、とよく言われます。自分がこの講義をするようになったここ5,6年の間でも、確かに海外には全く行ったことがない、興味がない、という学生が多いのを感じます。その一方で、海外や旅に興味がある学生は、ぼくが大学生だった20年ほど前に比べてもかなり積極的に旅をしているし、また現在は、高校の修学旅行が海外だったという学生も多く、海外への距離そのものは自分たちの学生時代に比べて格段に近くなっていると思います。

にもかかわらず、総じてみると、海外をとても遠くに感じている学生が多いことを実感します。そして今年は特に、「外国は怖い」「海外は危険という印象しかない」「一生行くことはないと思っていた」とレポートに書いている学生が多いことに驚かされました。

ただ、それゆえなのでしょうか。今年は例年に増して、みなが講義から大きな刺激を受けてくれたことがレポートから感じられました。講義を受けて「海外が怖いばかりではないと感じた」「旅にとても出たくなった」「夏に一人旅をすることを決めた」「来年留学するために本格的に動き出した」「世界の見方が変わった」などと書いてくれている学生が多く、それはとても嬉しいことでした。また、旅に出たいとは思わずとも、それぞれの今後の生き方を考える上で、なんらかの真剣な決意表明を書いてくれていた学生も多く、旅が持つ意味、旅が人に与えるものについて学生たちに話すことの意味を改めて実感しました。

またレポートを読む中で、多くの学生たちが、これまでそれぞれにいろんな経験を経てきたこと、生き方に迷い、葛藤し、社会に出るのを前にさまざまな悩みや不安を抱えていること、そして、生きることに真剣に向き合っていることが伝わってきました。

そういう学生たちに対してぼくは、40代になったいまの立場から、「自分も同じように悩んだよ」「気持ち、わかるよ」「大丈夫だよ」などとは安易に言いたくないと思っています。自分も学生時代、年上の大人にそのように言われても決して安心したりすることはなかったように思うし、そういう言葉はいま現在悩んでいる学生たちに対してほとんど響くことはないように思うからです。

できることは、ただその悩みや迷いや不安を聞くことであり、自分のこれまでの経験や現状をわずかに共有しつつ、自分自身いまなお悩み葛藤しながら生きている現状を知ってもらうことだけのような気がします。

個々の悩みは、究極には、その人本人が乗り越えるしかないないことがほとんどだと感じます。ただ、悩んでいる人にとって、その時々で力になりうる言葉は少なからずあるように感じます。それが本を読んだり、人の話を聞いたりする意味なのだと思います。

ぼくは、旅にまつわる言葉には、そう言った、誰かの力になりうるものが多々あると感じています。自分が旅を通して得てきた実感や大切にしている言葉は、そう言った意味で、学生たちにとって、わずかに力になりうる可能性があることを信じながら、毎年この授業をやらせてもらっています。

そうした自分の思いが、学生たちに届いていればこれ以上に嬉しいことはありません。講義を受けてくれた学生たちにとって、何か一つでも、今後もずっと心にひっかかり続ける言葉を届けられていますよう。

それぞれのこれからの人生の選択を、陰ながら、心より、応援しています。


※同じくこの授業に関連して2013年に読売新聞に書いた記事もここから全文読めます。