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旅が与える生きる実感 読売新聞文化面 2013年9月17日

(以下、全文)
 東日本大震災から2年半。いまも約29万人もの方々が避難生活を余儀なくされ、日本全体が先行きの見えない不安に覆われている。その中を生きる私たちに大切なものは何かと考えたとき、「旅」が一つのヒントを与えてくれるように思う。
 学生生活を終えて間もない2003年、私は、結婚直後に無職のままで妻と旅に出た。ノンフィクションを書きたかったが、日本でやるすべがわからない。だったら取材している人も少ないだろう外国を旅しながら書く方が、可能性があると思った。友人たちが就職をする中、先行きへの不安はあったが、物価の安い場所を転々としながら数年が経つころには、ライターとして最低限の収入を得られるようにはなった。妻も途中、中国で就職して生活の糧を得た。その後ユーラシア大陸横断を経て5年半に及んだ旅を終えて帰国した。
 その経験をもとにいま、「旅と生き方」をテーマに大学で講義をしている。最初のころ、講義の感想に多くの学生が「外国は怖い」と書いていたことに驚かされた。最近の若者は旅をしないと言われる。法務省の統計によれば、20代の海外旅行者数は1996年には460万人だったが、2010年は270万人。海外への留学者数も、ピークだった04年の8万3000人から、10年には5万8000人にまで減った。
そこに私は、即効性ばかりが重視され、「未知」を排除したがる近視眼的なこの時代の影を強く感じる。

それでいいのだろうか、と思う。先がわからずとも一歩さえ踏み出せれば必ずなんとかなる。先が見えないことはマイナスばかりではない。私は旅を通して、そう確信するようになった。    

中国では、行方不明の息子を捜すため、路上で二胡を弾いて日銭を稼ぎながら旅する男性に会い、タイでは残留日本兵から話を聞いた。行く前は不安もあったイランでは、どの国よりも人々に歓待されて驚いた。どれも旅に出る前は、思いもしなかった出来事だ。誰にも先のことはわからない。想像以上の難局にも直面しうる。しかしそれは、生き方も可能性も無限にあるということの裏返しでもあるのだ。そう思えればこそ、どう生きるかを自ら考え行動しようという意志が生まれるのではないか。

講義終盤には、多くの学生が旅に興味を持ってくれるようになった。「これから休学して中国に行く」と言いにきた学生もいた。
 実は、自分が旅に出たのにはもう一つ理由があった。長年悩まされてきた吃音のため、就職が難しいと思ったからだ。が、驚くべきことに、旅立ちから3年目に突然治ってしまった。はっきりとした理由は分からない。でもきっと旅が何かを変えてくれたのだろう。
 旅をして未知の世界に身を置くことは、生きる実感を与えてくれる。それこそが、震災後を生きる私たちにとって大きな力になるのではないかと私は思う。
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