吃音と生きる 6 極私的吃音消失体験 『新潮45』2016年12月号
この連載を始めて数多くの吃音のある人たちと会うようになってから、自分の吃音は、症状の程度でいえば軽い方であったことを実感するようになった。重度の吃音で苦しんでいる人に会うと、とても自分が、吃音の辛さを知っていると言ってはいけないような気にもさせられる。また、ひとまずいまは吃音で悩んでいない自分が、いままさに苦しんでいる人たちの気持ちをどこまで理解できるのかという不安のようなものもいつもある。決してわかった気になってはいけない、と。/そうした気持ちを持った上でなお、過去を振り返って感じるのは、周囲の人からは一見わからないような症状でありながらも、自分の人生が、本当に大きく吃音によって動かされてきたということである。思うように言葉が発せられないこと、そしてその問題を周囲の人に理解してもらうことが難しいという状況がいかに苦しいか。そのことは多少なりとも実感として知っているつもりだ。/だからこそ、吃音が消えていき、言いたいことが言えるようになるにつれ、私は話せることの喜びを心から感じるようになった。自分の名前を恐れずに言えて、店で好きなものを注文できることが本当に幸せだった。思ったことを思ったままに伝えられるというのはこんなにもうれしいことなのか。日々、言葉を発しながら、私は小さな幸福感に満たされ続けた。
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